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仮面ライダー龍騎から、正義と願いの違い

 仮面ライダー龍騎をプライムビデオで観ました。きっかけは大学の先輩とふと仮面ライダーの話になり、思い返すとカードバトルや変身の仕方がかっこよかったなと思ったからです。ほぼ忘れていたので、初見と同じような感覚でした、なぜか最後のシーンは既視感を覚えましたが。

 仮面ライダー龍騎は、ライダー同士がそれぞれの願いを叶えるため最後の一人になるまで殺しあうというモンスター対ライダーではなく人間同士の争いという形で、それぞれの願いの背景を知るとどのライダーも憎めないです。例えば、仮面ライダーゾルダの北岡秀一の願いは永遠の命でこんなことを言うやつです。「人間の欲望ってやつを愛してるんだよ。人として生まれたからにはすべての欲望を満たしたい、忍耐だの我慢だの、そんなものをありがたがる人間はたくさんいるけど、そういう奴に限って欲望を満たす才能も力もないんだよ。」欲張りな野郎ですが、実は彼、不治の病で余命がもう幾ばくかしかないんです。

 「この戦いに正義はない、あるのは純粋な願いだけである。」という最終回の予告があります。正義、願い、わかるのですが、僕ははっきり定義づけができす、なんなんだろうと考えてます。正義と言われた時にパッと浮かぶものはいいこと、それをする者、それこそ英雄(ヒーロー)なのですが、何を持ってそうなるのでしょう。例えば殺人は悪いことですよね。敵から味方、人を守ることはおそらく正義だと思います。でも、虐待を受けている兄弟がいて、兄が弟を守るために親を殺した場合は悪いことと言い切れない。気がする、、。

 じゃあ、正義ではない「願い」ってなんでしょう。先ほどの北岡の例で言えば、自分が長生きできるようにする。そのために他のライダーは全員殺す。他の例を出すと、仮面ライダーナイトこと秋山蓮は愛する人の病を目覚めさせるために戦っています。どちらもその気持ちは否定できない。だからと言って、その気持ちのために他の人を犠牲にしていいかと言われるとそれも肯定できないです。

 そういう気持ちの中で誰でも当てはまるものを考えてみたいと思います。例えば、僕たちは生きるために他の生き物を食べます。生き物たちの命を奪ってますが、人間の命は救っています。これについて、みんな割り切っている。さっきの親を殺した兄は割り切れない。多くの人に当てはまる欲を「正義」、個人的な欲を「願い」とするのかなと思いました。

 正義とそれに相反する別の正義があるとして、それぞれに否定できない事情がある。そういう時にじゃあどっちに肩入れをするんでしょう。多分、部外者は判断できないと思います。作中で当初、龍騎はそれぞれのライダーの願いに、人を守る、殺しはダメと正義的な感覚で対応していました。しかし、彼らとの戦いの中でそれぞれの願いを知り、どうしていいかわからなくなる。最後まで悩み続け、職場の編集長に自分の意見がないといけないという助言を踏まえ、死に際に、自分の答えを出します。これは願いを持ち、とうとうライダーになったのか…と哀しくも喜ばしく?も思いました。

 結論としては、ある程度合致する願いは正義とみなされるという感じです。合致しなくとも共感できる願いは正義とは呼べずとも認められるものになるのではないかです。

 そう考えるとどんな願いも正義たり得る可能性があり、正義もあやふやになりますよね。だからこそ正義はないという予告だったのかなあ。